特別意識

僕には特別意識があると思います。


というのも、昨日書いた『比較』に関連しますが、比較をやっている限り自己価値というのは、なかなか育たないからです。
自己価値が低いので、何とか人に認めてもらえるよう、自分に付加価値を付けられるようなことをします。
自分の自己価値が低いことを補うために付加価値を付ける、という意識が、『特別意識』を産み出すのだと思います。


がんばって色々と経験をして、自信と呼べるようなものが付いてきたかな?と思った矢先、自分より簡単に、上手にできる(できているように見える)人に出会って、今まで築いてきた自信が脆くも崩れる。
こうゆう経験は誰にでもあると思いますが、僕もそうです。
僕の場合は、学歴とか年収とか仕事とかスピリチュアル的な能力とか比較しています。
比較の感覚は、気づくか気づかないかの一瞬のときもあるし、激しい感情的揺さぶりのときもあります。


高校生の頃、劣等感から自分を守るために、様々な本を読んで考えて、ノートに書くようになりました。
その当時は、自分で気づける「真理のようなもの」をたくさんノートに書いて、それでもって特別意識を持ち、自尊心を保っていたと思います。
今も基本は変わらないかもしれないです。こうしてブログを書いたり、チャネリングをすることも、自尊心を保つためにやっているのかもしれません。


しかし、この特別意識。気づかないでいる、もしくは見ないようにしていると、どんどん大きくなって、不自然な言動に繋がったり、傲慢になったり、特別意識を正当化するために、明らかに変な理屈を捻り出したりするわけですが、よくよく見ると、自分の好きなことや得意分野に繋がっていたりします。


僕の場合はこの特別意識のおかげで、スピリチュアルや精神世界、宗教などに興味を持ち、様々なおもしろい知識に出会っています。
このファンタジーで出来たような世界観や、物事の真理、真実を追究していく感じがたまりませんw
そうゆうことが根っから好きなんですよね。


また、文章を書くことも、高校生のときノートにたくさん書いてきたことが肥やしとなっています。
そもそも特別意識を持つためとはいえ、これだけ長いこと(十数年も)書いてきたのは、書くことが好きだからだと思います。
実はチャネリングというのも、書くことが好きで、その延長線上で出てきた活動です。
「ジャッジをせずに書く」ことの良い実践になります^^


ということで、僕は特別意識を今のところ、こう解釈しています。


「自分の個性を表現するために、既存の価値観から抜け出よう、という個人的な試み」


本当は、高校生とか大学生あたりで、特別意識の盛りを経験し、抜け出てから大人になるのがいいんでしょうが、なかなかどうして、引っ張りました^^;


特別意識はその人の個性、オリジナリティーへの入り口にもなり得ると思います。
特別意識を持ち、広く社会にある画一的な価値観から一度抜け出して、何かの拍子に自分の特別意識に目を向け、自分の個性やオリジナリティー、本質に気づいて、今度はそちらを追及していく。
そうすると、特別意識は必要なくなり、どんどんなくなって、今度は自分の本当の情熱を追い求めることになっていく、というプロセスなのかもしれません。


僕個人は、このプロセスの真っ只中です。
まだまだ劣等感や優越感が湧いてきますw
ただ、こうしてプロセスの真っ只中と確信を持って言えるのが嬉しいです。


以上です!
それではっ!