比較
先日から、なぜかインナーチャイルドというか、子供の頃の思い込みについて書いています。
今日は『比較』について。
この世界に生まれて、学校教育を受けてきた人なら、というか、学校教育を受けた親の子供なら誰でも、当たり前に比較をしているはずです。
誰かと誰かを比べたり、何かと何かを比べたり、ということは勿論、自分と誰かを比べます。
先日来、僕の読んでいる本田健さんとバシャールの対談本があります。
- 作者: 本田健,ダリル・アンカ,バシャール,江藤ちふみ,島田真喜子
- 出版社/メーカー: ヴォイス
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- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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しかし、なかなか自分が本当にワクワクしてできることなんて分かりませんよね。
例え、やっていて楽しいことがあったとしても、もし人と自分を比べていたら、それが自分の情熱を傾けられることだ、と自信を持って言えるはずがありません。
バシャールはこうも述べていました。
情熱に従って生きることで、その人に潜在化しているネガティブな観念が出てくる、と。
そのネガティブな観念をポジティブなものに変換するためには、ネガティブな観念の中身を知り、ネガティブな観念が創り出しているネガティブ構造物(ネガティブな観念は様々なネガティブ観念を組み合わせて複雑な構造物を作り上げているそうです。)の構造を知ればいいらしいです。
ちなみにこれは簡単だ、ということですよ?(難しいと思っているということは、『ネガティブな観念を変換することが難しい』というネガティブな観念を持っているということらしいです笑)
だから、楽しいことをやっていても、どこかで人と比べてしまって、劣等感を感じているということは、『比較』というネガティブな観念を持っている、ということにぶつかっているわけですね。
僕もこれにはまって、自分の想像性を発揮できなくなっています。(だから、書く行とかモーニングページをやっています。)
実はチャネリングをしたり、カードリーディングをするときも、やはり他の人と比較していたりします。
人は主観的な存在です。
客観的な価値など、この世に生きる限りありえません。
ということは、絶対的な評価もあり得ないわけです。
良く評価してくれる場合もあれば、悪く評価される場合もある。
だから、比較をしている限り、その人が自分の価値に気づくこともないと思います。
なぜなら、自己価値とは、激しく主観的なものだからです。
もっと言うと、イエスやブッダが悟ったことは、究極的な主観体験です。
客観的に説明できることであれば、今の時代、もっと多くの人が悟りを経験しているはずです。
これらのことから、比較をせず、自分には価値があるんだと、思い込むことこそが、比較から脱して自分自身と付き合っていく一つの方法だと思いました。
これがいわゆる『自分を信じること』じゃないかと思います。
比較に関連して、劣等感と優越感という感情があります。
これを感じるということは、比較という観念を持っているシグナルなのですが、このことに関係する記事を『ありがとう日記』の管理人さんに教えてもらいました。
劣等感の克服について
この記事では、親との関係性から劣等感について語られています。
僕はこれでかなり救われました。
まさに目からウロコでした。
参考になると思います^^
ではっ!