それが起こることを許す

バシャール・スピリットにこのような引用がありました。

みなさんが自分の望む現実を見て、感じた後、その望みを実現化するのに一番強力な役割を果たすのが、すでに、あたかも、その現実が存在しているかのように行動することです。by バシャール(http://waku2bashar.info/5806

僕が思うに、このバシャールの言っていることの肝は、“自分の望む現実の波動”を出せるかどうかじゃないかと思います。


「あたかも、その現実が存在しているかのように行動する」
とは、例えば、“経済的に豊かな生活”が自分の望む現実であるなら、経済的に豊かな生活をしている自分が出しているであろう波動を出すことが肝心だと思います。


豊かで満たされている感覚、安心している感覚、ワクワクしている感覚。
“望む現実”の中の自分が感じているであろう感覚になって、日常を生活すること。
それが、
「あたかも、その現実が存在しているかのように行動する」
ではないかと思うんです。


もっと身近な例えで言うなら、僕がコーヒーを飲みたいとします。
コーヒーを飲もうと決めて、自分で淹れるか、またはコーヒーの飲めるお店に行くでしょう。
そのとき自分は、ワクワクしていると同時に、コーヒーを飲めるかどうか疑ってもいないと思います。
このとき、すでに“自分の飲みたいコーヒー”が存在しているかのように行動している、と言えるのではないでしょうか。
そして、引き寄せの法則では、コーヒーだろうと理想の自分だろうと区別はありません。


コーヒーと理想の自分との違いは、僕が、その現実の起こることを許しているかどうか、です。
別な言い方をすれば、もうすでにその現実が存在しているかのように、感じ、考え、行動しているかどうかです。


行動とは思考の結果であり、思考とは感情の結果であり、感情とは観念の結果です。
観念のレベルで、自分が現実をコントロールすることを止めれば、自分の選択した通りの現実が起こり始めます。
その現実は観念が反映されたものです。
だから、良くも悪くも、現実がそのまま起こることを許せば、自分の観念を知ることが出来ます。
(観念=中立な出来事にどのような意味を与えるか)
そこで、自分の観念を維持するのか変えるのか選択できるようになります。


どのような観念を持つか選択することは、どのような現実を体験するか決めることです。
この感覚に至れば、本当の自由を感じられると思います。
どのような観念を持つか選択する、ということは、自分が意識的にどのような波動を出すかを決めることでもあります。
「今、ここ」の自分が、どのような波動を出すか、どのような観念を持つか見る(許す)とき、どのような現実を体験するか決まります。
ちょっと、こんがらがりそうですが、今の僕の理解はこんなところです^^;


あたかも、自分の望む現実が存在しているかのように振舞う、とは、観念、波動のレベルで、望む現実を体感する、ということじゃないでしょうか。
ご参考にどうぞ^^
ではっ!