Taejunさんから学んだ。

書評をたどってふと見つけた方のエントリーから学んだことを、ここにメモります。 

 まず、僕にとっての、感性とは何か、について。
 二つである。
 一つ、ものの流れを感じる力。
 一つ、ものの本質をつかむ力。


 ものの流れとは、色々なものを含む。 社会の流れもそうだし、自然の動きや、人の心などもそれに含まれる。それらに対し、敏感であること。それが、僕にとっての感性の内容の一つである。感受性としての感性。
 物事に対して、ふと、「ん? 何か違うな?」とか、「これから先は、こんな風になるんだろうなあ」と、感じられるような能力。世の動きや、人の心の機微まで、そう感じられるようになりたい対象はさまざま。
  

 ものの本質をつかむ力とは、「これは、要するに、こういうことなのだろう。」と、理解できる力。感覚としての感性である。よく、「勘がいい」とか言われる人は、この本質をつかむ力に秀でていると思う。要約能力と言い換えてもいい。


僕は、普段生活をしていて、お金の流れが見えるようになりたい、と思っている。何のためかは分からない。ふと、そう思った。
自然の流れを感じること、というのはとても大事だと思う。僕らは地球に生きているのだし、地球を実感できれば自然に感謝の心も生まれるはず。マスコミには環境問題よりもそっちの方を啓蒙してもらいたい。詩情は自然の流れを感じて、自分の感情の流れと結びつけたもののように思う。
ものの本質をつかむ力、というのは、魅力的。何かを学ぶのにこれがあるのとないのとでは、きっと学ぶ速度に差が出ると思う。

その結果、いたった答えが、感性。特殊なバックグラウンドで育ってきた自分の感性は、努力すればもっと光らせることが出来ると思った。


努力すればもっと光らせることが出来る、というところがカッコよかった。

世の中には、やらなければいけないこと、できることが数多くあるのだから、楽しくないものは、特別の必要性を感じない限り、後回しにしたい。


禿げしく、同意。楽しいことを意識しながらやって、そのうち、これやると楽しいんだよな、でもこれやると楽しくないんだよな。という感覚の精度を上げていきたい。いま思い当たるところで言うと、夜更かし。これ起きたときの気分が最悪。午前0時までには寝る習慣を身に付けます。それから、お腹もすいていないのに何かを食べること。これは、「なぜ5回」を徹底すると、本質的な問題、どうしてお腹もすいていないのに何かを食べたくなるのか、の理由にぶちあたるそうで、試してみたい。「ビジネス頭〜」から。


必要なのに、自分には不足していると感じた分野。
英語や統計学など。最近で言えば、会計などもそれに含まれると思う。


自分の目標に照らし合わせて、いま自分には何が欠けているのか、を素直に考え、素直に受け止めること。そうすれば、努力につながる。松井秀喜選手の著書、「不動心」のメンタリティーにも共通している。

 楽しいだけでなく、一生懸命というところがポイント。一生懸命にやる事によってのみ、見えてくるものがあるものである。適度とか、適当とかいう言葉は、僕は好きでない。やるからには必死にやる。もともと負けず嫌いでもあるので、できるだけ、自分より遥かにレベルの高い人と接して、その負けず嫌いに火をつけ、一生懸命にやりたい意欲を高めようとしている。


僕の中には違和感がある。一所懸命の何に違和感があるのか。自分が楽しいと思っていることは、のめり込んで、放っておいても一所懸命になる。だから意識して一所懸命やるのは、本当にやらなければならないことだけに絞りたい。例えば、いまの僕でいう転職活動、とか…

 感動をしやすい状態とは、何事からも学ぼうとしている状態なのだと僕は思う。草木からも人間は学べるのだから、人間が歴史をかけて作り上げてきた諸分野から学べないわけが無い。学ぶつもりで過ごしていると、本当に多くのものから感動を得ることが出来る。その感動が、物事の流れをつかむことにつながるのだ。そのような感動を得られるための心作りをしながら、その機会を増やすために、疑問に感じたことはすぐに質問にするようにしている。疑問こそ、感動の出発点。


疑問こそ、感動の出発点。とは至言。疑問を感じる、ということは何かしらのひっかかりがある、ということだから、意識のどこかにその扉を開けよ!と命令するだけの動機がある、ということだろう。この言葉はピンと来た。


 その分野で真剣に、しかも長い間やってきた人たちは、なんらかの真理に到達しているはずである、と、僕は考えている。だから、そういう人たちに出来るだけ多く会うようにしているし、会えたら、その人たちから少しでも何かを引き出そうと考えながら話をするようにしている。 

 鑑定家を例にとろう。いい鑑定家になるために、一番大切なことは、本物に数多く触れることなのだという。鑑定家志望者だけでなくても、話は同じだと思う。本物といわれるものは、何らかの意味で、核心部分に触れているから本物とよばれるのである。だから、僕は、ブルーノートに足を運ぶし、美術展はちょくちょく見に行く。文学作品は古典文学から読むなど、なんでも古典とよばれるものから手をつけるようにしている。古典が古典である理由は、それが人や世界の核心に、ある程度は触れているからなのだから。本一つとっても世の中には無数の本があるのだし、一生のうちに読みきれるものでない。だから、専門書籍以外で本を読む場合、優先順位も、当然のごとく古典優先となるわけだ。


魅力的な人、その世界で第一線で活躍しているような人と会い話すと、たくさんいいものを得られるだろう。しかし、機会があったら会いたい。くらいで、無理して会うまでのモチベーションがない。タイミングがあえば会いに行く。くらい。
本物を観る、感動する、ということは心を純粋にし、素直な感じ方、考え方を育ててくれる、と思う。
人の本来の能力というものは素晴らしく、いかにそれを引き出すかが鍵だと考えてみるのもおもしろいかもしれない。人の能力を引き出すものとしては、程よい緊張感、コーチング、友達や仲間との調和の関係、一所懸命な中での競争、ふとした瞬間、etc…

 僕にとっては、「一を知り、十に活かす」である。今まで色々な分野で得てきたものは、僕の頭の中で、他の分野と複合的にからみついている。この複合的なネットワークをひろげるほど、新しいものに遭遇した時に、それをすばやくパターン認識(=本質をつかむこと)できるようになるのだと思う。


僕の課題は、様々なことに対する興味関心を一つにたばねることだ。この言葉は味わうべき。ここにはヒントがある。興味関心のあることを一つにまとめることで達成できる僕の目標とは何だろう??


以上。


なぜ、このようなエントリーを書いたのか。それは、「三毒追放」のため。最近読んだ、「ビジネス頭を創る7つのフレームワーク」というものに書いてあったことと、前々から思っていたことが重なり、自然と行動に移ったからだ。それがこの「三毒追放」。
三毒とは、仏教でいう、妬み、怒り、愚痴り。これらから解放されることで、自分の中をクリアーにしていくことができるらしい。
いままさに僕は、「シャーマンキング完全版」を読んでおり、自分の生き方や在り方と、この漫画と、勝間さんの本がリンクした。


自分の境遇から、妬み、というものがあったんだと思う。純粋に、エントリーの方の経歴が素晴らしいと思ったから、というのもあるだろう。
少しでもこの方のエントリーを自分の血肉にしようと思い、書いた。


誰に向けての説明かといったら、自分に向けての説明です。


Taejunさん、ありがとうございました。