“小沢流ドブ板選挙”の本質とは?
前のエントリーの続きみたいになります。
先日、僕は面接を受けました。
僕は現在無職なので、就職のための面接です。
感触は良かったのですが、不採用でした。
反省をすると、僕に足りなかったのは「熱意」だったと思います。
僕はあまり職歴がなく、かつ、今回受けたのは未経験の営業職。
そして、その分野はいままでまったく触れてこなかった分野でした。
にも関わらず、僕の感覚では、「熱意」があったら受かったと思うのです。
妄想だ、と言われればそれまでですが・・・
つまり、面接の担当官の方が、未経験で畑違いの分野でやってきた人間を、会社の中で推すには、とても「熱意」のある方です!と言えるか言えないかが重要になってくるだろうと思うからです。
相手の企業は未経験者でも育てます!という姿勢で面接をしてくださりました。
いまどき、未経験からずぶの素人を育てようと言ってくれるような企業はとても貴重です。
僕も、相当くやしがって、涙を流してしかるべきですが、この経験から気づいたことがあります。
それは、日本人にとって「熱意」というのがどれだけ重要な判断材料になっているか、ということです。
いや、僕は日本人しか知らないのでこう言うのですが、西欧でも他のアジアでも「熱意」が重要視されているかもしれません。
その経験がどう前のエントリーと関わってくるのか。
まさに、前エントリーを書くきっかけとなったこのChikirinさんのエントリーに関係しています。
★必要なのは“OZAWA 2.0”
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20091029
小沢さんは人心掌握術に長けた方だと思います。
そして、旧来の選挙戦術のドブ板選挙とは、有権者に候補者の「熱意」をあらゆるやり方で伝える方法だと思うのです。
そうなると、ネット的なものでどれ程地方の中高年にその「熱意」を伝えられるだろうか、と思いました。
ネット上でどれだけ熱意を伝えられても、また、テレビでどれだけの熱意を伝えられても、目の前にその人が現れて、強く握手をして、宜しくお願いします、と言われたら、そうゆうのに弱い日本人は投票してしまうんじゃないかと思うからです。
そのようなノウハウを、小沢さんがたくさん持っているのだとしたら、いくらネットを駆使してもなかなか対抗できないんじゃないだろうか・・・
だからこそ選挙制度や国会制度の枠組み自体からリビルドして、地方分権も進め(財源、権限を委譲し地方のことは地方がやり、国会議員の負担を減らし)、国会議員が国会議員たる仕事を任期中に集中してできるような仕組み作りを目指すべきじゃないか、と思います。