スパコン予算復活

このニュースに一市民として感じるのは、科学技術関連の予算は本当に妥当か?ということです。


科学技術の振興は国家の礎を築くために必要だと思います。独創的な研究が実を結べばその分野で世界をリードし研究費以上の外需を呼び込むでしょう。さらに、その研究が国内に還元されれば国内の生産性を向上させ内需拡大にも結びつくかもしれません。その意義においては借金をしてでも科学技術に予算を付ける必要性にうなづけます。


しかし、人類として探求のための基礎科学に税金を投入する事には疑問を感じます。例えば、宇宙の果てには何があるのか、や、人類の租はどこで生まれたのか、などです。それが解明されれば確かに人類史上の謎は片付くかもしれない。しかし、一市民としてそれに税金を払っているつもりはありません。学者のロマンに税金を払うつもりは毛頭ありません。だから事業仕分けで仕分け人が指摘したように“世界第1位である必要が本当にあるのか?”という疑問は僕にとっても疑問です。


だから、それだけの経費を付けて、借金をしてまでそれをやる必要がどこにある?という素朴な疑問に学者は納得のいく答えを提示する必要があるのです。自分たちの研究が何によって支えられているのかを踏まえている人なら真摯に応えてくれるはずです。それをやれ削減だ縮減だと言われたら自分たちの研究が立ち行かなくなるなどと、子供の駄々にしか聞こえません。税金を払う国民に対して、しっかりと研究の意義を説明してほしいです。「素人には分からない」というのは学者の傲慢です。自分たちの足元が何によって支えられているのかを改めて考え直してください。


科学技術というのはいつの時代も説明を求められるものだと思いますし、また説明しづらいものでもあると思います。しかしそれは学者の宿命です。「素人には分からない」ものでも何とか納得させようとする苦労こそ学者に問われる資質です。それができないと言うのなら、個人で寄付を募って研究をしてください。


更に言うと、科学時術関連の予算の聖域性に隠れて、文部科学省天下り先温存に利用されてしまっているところもあると思います。分野は違いますが指揮者の小沢征爾さんがこう仰っています。

「財団、国立劇場には音楽が分からない役人がいっぱいいる。それこそ無駄だ」12月10日読売新聞朝刊4面

科学技術関連の施設にしても同じことが言えると思います。


そういった人たちの人件費に多く予算が割かれてしまい肝心の研究にお金が回っているのか、という点も重要です。縮減や削減に大反対した学者の方々はその部分も訴えるべきでしょう。確かに、予算を縮減・削減されてしまえば自分たちに回ってくるお金も減る。だからそれは困る、というのも分かりますが、そもそもその予算自体がしっかり研究に回っているのか、ということも声高に叫ぶべきです。学者の方々の声が既得権益維持を目指す科学技術には何の関心もない役人や役人OBに利用されているのではないでしょうか。


スパコンの予算は来年度も計上されることが決まりました。しかし、この予算が妥当かどうかの議論が今後煮詰まってくれることを注視したいと思います。