日本人として世界で生きるには

日本人はインドや中国やマレーシアの人達と同じ土俵に立つ必要はない。
個々それぞれが今属する会社や家族、地域を自分の力でどう良くしていこうか考え工夫していけばいいんだと思う。
その視点が世界に向かう人は世界をどう良くしていこうか考えればいい。


日本の成長戦略を考えるということは、今、日本にとってどうゆうことが必要なのか、今の日本をより良くするためにはどうゆう政策が必要なのかを考えるということだ。それは政府に属する人しかできないし、それをやるのが中央官庁であり国会議員の役割だ。


世界の競争で勝つか負けるかというのはそうゆうことを考えたい人が考えればいいことで、日本として中国やインドに勝つか負けるかという議論にあまり意味はないように思う。


日本人は戦後外見上も内面も焼け野原となった日本をなんとか立て直すために頑張ってきた。それが果たされ気づけば世界第2位の経済大国になった。結果として世界第2位の経済大国になった。しかし、経済大国になりたくてみんな頑張ってきたわけじゃないはずだ。日本を立て直したくて、日本を良くしたくて、自分の住む地域や、自分の家族の生活を良くしたくてみんな頑張ってきたのじゃないだろうか。


それを今や世界第2位の経済大国という看板を守って世界と競争しようという話になってしまっている。中国やインドのような新興国に負けない、ということが目標じゃないはずだ。今でも、日本を、地域を、家族を、自分をより良く生かしたくてみんな頑張っているはずだ。だから勝ったの負けたのというのは表面上の話でその根元の「より良くしていこう」という思いをもっと大事にしたい。


もっと言えば、今や日本は世界を良くしていくことも考えられるようになったんじゃないか。日本の歴史を通して考えてみても、戦国時代、江戸時代、明治・大正・昭和と考えてみても、世界をより良くするために日本になにができるか、ということを語れる時代はなかった。戦後復興が果たせ、結果的に世界第2位の経済大国になり、ふと考えれば、日本人として世界にどう貢献できるだろう、と考える人も出てきたというくらいだ。鳩山首相になり、日本をどう良くするかではなく、世界をどう良くするか、と考える人が日本のトップになった。つまり日本として世界にどう貢献するのか、ということを考える時代になってきたということだ。


しかし、国民全部に日本人として世界を、人類をより良く生かすために何が出来るか、ということを考えるべきと言いたいのではなく、それぞれの人が自分の等身大で考えて、家族、地域、日本、世界のことを考えればいいんだと思う。ただ単に世界と競争して勝つか負けるかなんていうのは、それをしたい人がすればいい、そうゆう話だと思う。


日本は一国で生きているわけではない。世界があって初めて生きる、ようになってしまった。日本一国では1億6千万人もの人口を養うことはできない。他国と付き合わなくてはならないのなら、協力すればいい。その土俵がないのなら日本が作ればいい。


競争が悪いと言っているのではない。競争することで改善されていくこともあるはずだ。しかし、競争という観点だけで見てしまうと日本人というものを見誤ると思う。中国人やインド人にも歴史があり民族の特色があるように、日本人にも日本人なりの特色がある。それを劣勢と見るのではなく、いかにそれを生かして世界と協調していくのかを考えるべきだと思う。



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アンカテ:原油高と同じくらい深刻な「ホワイトカラーの仕事破壊」
http://d.hatena.ne.jp/essa/20091219/p1#tb



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日本という国の特性
企業の役割
ホワイトカラーは歯車
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その必要性もない
成長戦略
ホワイトカラーの労働力の変化の原因は、ITとグローバル化だ。>本当だろうか?
日本人だからできること・できたことがあると思う
誰でもできるような仕事は、それこそインドでも中国でも人がいるところでやってもらえばいい。
今起きている変化
日本の成長戦略=日本の行く末、将来像
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インターネットで勝ち負け
日本人がまた勤勉になればいい
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