非実在青少年騒動という頓珍漢

「文化が滅びる」――都条例「非実在青少年」にちばてつやさん、永井豪さんら危機感


この件について一言。


パソコンゲームや漫画を規制しようとも今やパソコンやケータイで性的表現は腐るほど手に入ります。手に入れようと思えばなんぼでも手に入る世の中で、このような規制というのはどういった意味を持つのでしょうか?


それはPTAを始め教育委員会、都の役人、果ては大人と呼ばれる人達の子供や表現者に対して行う“責任転嫁”です。


彼らの心理を考えると、青少年を取り巻く性体験の若年化、複雑化の中、自分達のコントロールを超えてしまった子供達の行動に制限をかけたいという危機感からこうした規制案が出ているのではないでしょうか?しかし、それはパソコンゲームや漫画を規制したところで何も変わりません。一人ひとりの親、教師、大人がどう子供達と接するか、また大人一人ひとりが自分の言動を省みることこそ先であって、表現規制など何の意味もありません。


もっと言えば、子供達が大人の問題視するような性行動に走るのは、大人の本音を体現しているからではないでしょうか?若い子を抱きたいというオヤジがいなければ、援助交際は成立しません。生徒に告白されようと先生と生徒という一線を先生側が越えなければ、それは淡い恋心で終わります。しかし今更、大人側にそういった自制を求めても無駄でしょう。


だからこそ、その体たらくの大人が子供達に自制を求めることは怠慢以外のなにものでもないと思います。


表現者側のことについて言えば、上記のように表現規制には何の意味もありません。しかし、かといって今の表現の現場が守るに適うものなのか考えることも必要でしょう。少年漫画ではそうでもないですが、少女漫画では性的表現を出せば売れるかのような状況ではないでしょうか。確かにストーリー上の文脈で高校生同士が付き合ってセックスをすることを表現することは現実に適っているのかもしれない。


しかし、好奇心を徒らに煽っていないか、売るための性的表現になっていないか、自浄作用を働かせるべきでしょう。別に性的表現がいけないんじゃなく、「文化が滅びる」とまで言うその文化をより良く向上させることこそ、漫画家や出版業界、果てはゲーム業界、文壇まで、青少年の市場で商売をやっている人が考えなくてはならない義務だと思います。そうでなければ、単なるエロ本、エロゲー。それならば、今もR指定されているし、過剰に反応するまでもないでしょう。そして、安易な表現をしている漫画家、ゲームクリエイター、小説家が悪い、となる。


せめて、少年・少女漫画という場では、徒らに過激な性的表現に走るべきではない。走るなら走るなりの理由を表現の中で作ってしかるべきだ。そして、読者に対するフォローの表現も必要でしょう。エロ本、エロゲーが裏で陰だとすれば、表の少年・少女漫画、ゲーム、アニメは陽でなければバランスが悪い。そのバランスがあってこそ、消費者である子供達の心情もバランスできるんじゃないでしょうか。表の部分にまで過剰にエロが進出することは表現者の怠慢です。そして、そんな怠慢を見逃している業界に明日はないと思います。