東日本大震災の余震について

甚大な被害を出した3月11日の地震発生から一ヶ月が経ちましたが、余震が止まりません。
僕自身が不安な気持ちを持ったので、訊いてみました。


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僕:3月11日の地震から一ヶ月経ちましたが、未だ大きな余震が被災地を襲っています。この余震は止むことがないのでしょうか?


「はい。私も気の毒に思っていますが、余震は止むことがありません。なぜなら、これは揺さぶりだからです。」


僕:揺さぶりとはどうゆうことでしょうか?


「この世にある、悪い物を出す揺さぶりです。」


僕:少し意味が分かりません。具体的にお願いします。


「この地震によって疲れ果てる人もいれば、逆に力を出す人もいます。被災地の人々のことを真に思いやる人もいれば、思いやっているように振舞って自分の利益を挙げようとする人もいます。」


僕:なるほど、しかし、それは、光もあれば影もあるので、仕方ないんじゃないでしょうか?利己的な人をあぶり出すために余震が続くのは、それほど利己的ではない人(こうゆう人が多いと思いますが)にとって酷じゃないでしょうか?


「あなたは誤解しています。今は、何にせよ地震によってエネルギーが高まっているのです。それによって、ポジティブなエネルギーもネガティブなエネルギーも高められます。そうすると、自ずと人の中からその人の“意図”が炙り出されざるを得ないのです。不安な者は不安に、楽観的な者は楽観的に、恐怖を出す者も居れば、愛を出す者も居ます。人を思いやる気持ちが出るのか、我が身かわいさに他を虐げる気持ちが出るのか。そこが肝心なのです。」


僕:つまり、悪い物を出す、とは、その我が身かわいさに他を虐げる者のことなのでしょうか?


「いいえ、違います。そう振舞う人の中にあるエゴを外に出しやすくする、という意味です。」


僕:分かりました。そうゆう人は、エゴを言動に出すことによって、自分の人生の意図を自分の行動から、もしくは行動の結果から知る機会を得られるわけですね。


「そうです。あなたも楽観的でいようとするために、無関心になってはいけません。人々の愛に焦点を当ててください。被災地で、数多の余震に耐えながら懸命に生きようとしている人々を見てください。曇りなき眼(まなこ)によって人間の本質的な愛の力を見るのです。」


僕:分かりました。ありがとうございます。


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「意図」という言葉は最近僕がはまっている言葉です。
僕の中のイメージでは、意図=思考+方向性、という感じです。
そして、どこかの本で、「意図が結果になる」というようなことを読みました。
意識的にしろ、無意識的にしろ、人の言動には意図が隠されています。
僕は、自分の言動の意図を明確に知りたいと思っています。
それを意識化することで、自分の望む結果を引き寄せるためです。


聖書にも関係ありそうな文章があったので、引用します。
「あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみからは取れるわけがないでしょう。
同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます」
マタイの福音書7-16・17(新改訳聖書 改訂第三版)


それから、余談ですが、チャネリングというのは、高次の存在から流れてくるエネルギーを受け取って、それを言語化する行為なんじゃないかと、現段階では思っています。
だから、僕の語彙や知識がチャネリングで聞き取ることに反映されてくるんだと思います。
逆に、僕の語彙や知識にないことは、聞き取りづらいんじゃないかと思います。
また、僕の質問によっても、回答の内容が変わってくると思っています。
チャネリングにも意図を意識することが大事なのだと自覚しました。
ではっ!