ホ・オポノポノ

昨日のエントリーの続きです。


ホ・オポノポノは自分のインナーチャイルドである「ウニヒピリ」と一緒に、「記憶」を消す方法です。
人の記憶は、エーテル体にも記憶されていますが、人間の集合意識にも記憶されています。
「幽霊」が特定の場所に現れやすいのは、何かの理由でその場所に集合意識から記憶が再生されているからだと思います。


ただ、ポジティブな幽霊の話を聞かないのが不思議で、怪談や心霊体験で聞くのはネガティブな幽霊の話ばかりですよね;
・・・僕らが「幽霊に期待すること」がいわゆる怪談などのネガティブな物語だから、そうゆう幽霊の記憶しか再生されないのかもしれませんね!


ホ・オポノポノで消すのは、集合意識に記録されている記憶です。
その記憶は、人の潜在意識まで上がってきて、日々の生活に現れます。
潜在意識で記憶の再生が行われると、それが顕在意識にも影響を与えます。
そして、日々の生活にその記憶が現れるわけです。まるで幽霊のように。


その記憶の再生はどれくらいの規模で行われるのでしょうか?
僕の顕在意識に影響をあたえている記憶は、同時に、僕の家族の顕在意識にも影響を与え、僕と家族とのドラマを創り出す、といったことが行われているんでしょうか。


ホ・オポノポノの理屈では、目の前に起こる出来事(内面、外面問わず)は、集合意識レベルまで遡ると「自分の記憶」であるので、何かが起きたときは「自分の責任」としてその出来事の原因である記憶をクリーニングする、という話です。
上の質問の答えは、目の前に起こる全てのことに影響を与えている、となりますね。


クリーニングのやり方は、何かの出来事が目の前で起きた時、


「その出来事が起きたのは、自分の中にあるどんな記憶が原因だろうか?」


と問い、後は


「愛しています」もしくは「I love you」


と言うか念ずる、ということです。
出来事が起きた時に、内面に向かって「愛してます」「I love you」と念ずるだけでもいいらしいです。


僕がホ・オポノポノに対して疑問に思ったのは、記憶のクリーニングをしてしまうと、魂の「経験する機会」すら奪ってしまうんじゃないか、ということです。
魂は、自分の「概念だけの知識」を「体験」するために神から分かれました。
集合意識の記憶が再生されて、目の前に出来事として現れる、というのは、その出来事を体験するためのシステムではないかと思います。
だから、体験の素である記憶を消してしまうと、体験する機会すらなくなってしまうんじゃないかと考えたんです。


しかし、人から「古い記憶を消去すれば新しい体験ができる」と言われて、目からウロコが落ちました。
DVDプレイヤーのハードディスクに例えることができます。
僕は映画が好きなので、映画を録画しておくことが多いのですが、映画は時間が長いので、ハードディスクがすぐにいっぱいになってしまいます。
このようにハードディスクの容量がいっぱいになっていると新しい映画を録画することができません。
だから、新しい映画を録画するために、古いものは削除しておく、ということです。


魂には時間の概念がありません。
気に入った体験は何度でも繰り返して体験できます。
だから、同じ体験を飽きることなく続けます。
何度でも転生して体験できます。
それで良ければ続ければいいし、やっぱり新しい体験がしたいな、と思うのならば、クリーニングすればいい、ということだと思います。


以上、僕のホ・オポノポノ考でしたー^^