物語

僕は、人が魂と肉体(肉体意識)を持つ存在であり、魂は体験を求める存在であると思っています。
魂は、様々な体験を詰め込んだ人生計画を立てます。
そして、魂の創り出した制限付きの意識(人は普通これのことを“意識”と呼ぶ)は生まれた瞬間から、その人生計画に沿った人生を送り始めます。
これは、いわゆる「運命論」というものですが、僕の認識は「人生とは体験をするためのもの」だと思うので、運命に沿っていく生き方も、運命に逆らう生き方もどちらも“体験”という観点からするとアリだと思います。


しかし、だからといって魂の創り出した人生計画を無視できるわけではありません。
だから、望んでいる体験をするために、人は無自覚に“物語”を求めます。
子供時代に物語の基礎を形成してくれるのは主に家族です。
そこで受けた影響は、ほとんどの人にとって死ぬまで続きます。
だから、魂としては最初に選ぶ家族がとても重要です。
家族との関係によって物語の下地が作られるからです。


何が言いたいのかというと、人はそれぞれ自分の人生体験のために“物語”を求めている、ということです。
例えば、ヒーリングを受けるということにしても、シータヒーリングが肌に合う人も居れば、レイキや鍼がいい人もいる。
それらは結局、その人の人生体験に合う形のヒーリングなわけです。
同じような事柄を癒すにしても、その人に合う方法、合わない方法は必ずある。
しかし、それは究極的に言えば、その人が人生に求めているものの違いなだけであるとも言えるでしょう。
(だから僕は、一般的にどう、と言われていることが余りアテにならないなぁと思っています。)


最近はスピリチュアル系の本がたくさん出版されていて、魂について、や神について色々な考え方を知ることができます。
神様の種類もたくさんいます。
西洋系、東洋系、あと宇宙系なんていうのもありますかね。
自己実現の方法にしても、本の数だけあるくらいのものです。
もともとの宗教や密教や古い教えの数々の上に、新しいものも加わりバラエティー豊かです。


どれを信じ、どれを実践するのか、それはその人の自由です。
その人が好きで、楽しいと感じるものが、その人の求める“物語”じゃないかと、僕は思います。
そして、スピリチュアルな考え方を選ぶ人もいれば、哲学を選ぶ人も、科学を選ぶ人も、実学を選ぶ人も、様々です。
しかし、その違いと言えば、「魂が何を体験したいか」の違いでなだけじゃないかと、僕は最近、考えています。