「神の使者」を読んでみました^^

神の使者

神の使者

この本は、ACIM(A Course In Miracles「奇跡のコース」)という“覚醒へのカリキュラム”(僕の勝手な解釈です)を提供するコースの番外編?入門編?という感じの本です。


最初読み始めると、アセンデッド・マスター(ascendは上昇する意です。天上の師という感じでしょうか)の口の悪さに辟易しました(笑)
しかし、考えてみると分かりますが、この本にしても、「神との対話」にしても、「対話者」の人格は書く人に由来します。
それは、高次からの信号をその人の“人格”を通して受け取るからです。


この本の作者ゲイリーも、「神との対話」の作者ニールも、共通点は柔軟性にあります。
がっちがちのキリスト教原理主義でも、大学教授でもありません。
更に二人とも苦境の最中に本を書いたことが共通しています。
それは、苦境により自我が折れ、柔軟に世界について考える余地があったと言えるでしょう。
成功している人にはどんな教えも「馬の耳に念仏」です。
だからこそ、画期的な知恵を“聴く”ことができたわけです。


神の使者たちの話では、この世界はエゴによって創られた、と説明されます。
エゴは、僕ら人間が「自らの足で神の元を離れた」という幻想を見せ、罪悪感を抱かせることによって、この世界を維持させている、ということです。
そして、その根本的な罪悪感(原罪と言ってもいいかも)から恐れや不安といった分離的感情を生み出して、「それは私たちが神の元を離れたからだ」と思わせ、更に罪悪感を煽るというスパイラルに閉じ込めているそうです。
そのスパイラルから抜け出し、神の元へ返す役割を担うのが「聖霊」であり、「J」と呼ばれるイエスです。
聖霊は、外面に現れた現象に、自分の中深くある「罪悪感の表れ」を見つけては、「赦す」手伝いをしてくれます。
そして、目の前に現れた現象を「赦し」続けることによって、根本的な罪悪感は解体し、人は神の元へ返れる、という流れです。
僕はここに、ホ・オポノポノの考えを見ましたし、バシャールの言っていることも重なりました。


人は様々な知恵の中に、「自分に有効な方法」を見つけ出すことができます。
それが、聖霊、ディヴィニティー、直感、第六感の役割ですし、相似象の目指す「正覚」もそこを目指しています。
神との対話」シリーズの「新たなる啓示」にもこうあります。

「どの神への道も、べつの道より神に近いということはない。どの宗教も『唯一、真の宗教』ではなく、どの民族も『選ばれた民族』ではなく、どの預言者も『最も偉大な預言者』ではない。」


僕は地球を「学校」だと考えています。
しかし、必ずしも何かを「学ぶ」必要はなく「努力」する必要もありません。
僕の言う学校とは学ぶ場ではなく、「経験する場」だからです。
僕は地球を、「分離→統合→卒業」を経験する場だと考えます。
理由は、「プリズムオブリラ」によると、「神が自分の知っている“概念”を体験するため」ということですが、その言葉の表す概念についてはまだ分かりません。


重要なことは、自分の心が惹かれる方へ行く、ということだと思います。
その際、エゴは様々な「恐ろしいもの」を見せてくるでしょう。
そしたら、聖霊と一緒に、そんな恐ろしいものを自分に見せた「自分自身」を赦してください。
僕の今の「神の使者」の理解でいうとそうゆう感じになります。
ではっ!